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洲原神社について

奈良時代の創建より千三百年余り
白山信仰の前宮(さきみや)として
崇められた神社です

奈良時代の創建より千三百年余り
白山信仰の前宮(さきみや)として
崇められた神社です

洲原神社のご由緒

養老元年、白山を開山された越前の僧泰澄大師が、白山の雪嶺に登り、苦修練行の功を積んでいたところ、白山神が現れて「白山は四季雪深く、老若の歩行はかないがたい。そこで、美濃国音無川(現在の長良川)の辺、鶴形山の岸に行きて、我を斎い祭れ。永く帝道の繁栄を護り、国家豊穣を衛るべし。」と告げました。
養老5年(721)実に宏大荘厳な御社殿が御造営の工を竣え、勅を奉じて泰澄が御祭神をお祀り申し上げました。

お洲原まいり

往古の信仰
養老6年8月、元正天皇御悩の際、泰澄に命じ当社へ御平癒を祈らせ給い、又聖武天皇の天平8年、国々に疱そうまんえんして都鄙(とひ)この災にかかるものが多かったので、泰澄に命じて当社に祈らせ給うたことがあります。
後醍醐天皇の御代に、賊将尊氏が京都へ乱入した時、新田義貞勅を奉じて、越前進発の際、弟の脇屋義助、密に使者を当社に参らせて、宝祚の無窮、玉体安穏、朝敵降伏の祈願を厳修されたことがあり、又近世に入っては、織田氏、豊臣氏、徳川氏の信仰も深く、徳川二代将軍遺例の際に、病気平癒祈祷や、尾州藩では特に当社を寺社奉行の直配の下におき、尾州藩十社家の一にして、毎年御領内の五穀豊饒祈願を厳修の上、又尾州藩六十五万石の御蔵札を当社より拝受するを例としておりました。