奈良時代の創建
大自然の風光明媚な神域

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洲原神社 境内案内

江戸時代の面影残す建築群
洲原神社の社殿建築群は、17世紀後半から18世紀前半にかけての80年余りの間に、順次建て替えられたことが分かっています。 長良川河畔の風光明媚な地に囲まれて、江戸時代中期からほとんど変わることなく今日に至っています。このような例は全国的にみても珍しく、極めて高い文化財的価値を持っています。 現在は檜皮葺屋根の劣化が激しい順に、葺き替え事業を継続的に行っています。

白山信仰の神々
白山信仰とは加賀(石川県)越前(福井県)・美濃(岐阜県)にまたがり、御前峰・別山・大汝峰の白山三山をお祀りする 山岳信仰です。 白山信仰の前宮(ささみや)である洲原神社では、三峰の神をそれぞれ祀る三本殿が並びます。 江戸時代以前は「洲原白山」、「白山権現」などと呼ばれていました。

西本殿(県重要文化財指定)
どちらも三間三面の流れ造り、身舎は円柱、向拝は角柱を用い、斗粗は出組で勾欄をめぐらしている。江戸時代の建築と考えられるが、本殿と並んで三神殿並立の姿はまことに立派である。

中央本殿(県重要文化財指定)
三間三面入母屋造り桧皮葺、前面に向拝がつく。三手先斗組であるが支輪はなく、斗組の間に蟇股を入れ、唐様を主として和様を混ぜ、市内で最も規模の大きい立派な本殿である。 社伝によれば康正年間に建立し天正13年(1585)に鉈屋山城主佐藤歳次郎方政によって修理されたということであるが、さらに江戸時代にも大修理を加えたものと推定される。

東本殿(県重要文化財指定)
どちらも三間三面の流れ造り、身舎は円柱、向拝は角柱を用い、斗粗は出組で勾欄をめぐらしている。江戸時代の建築と考えられるが、本殿と並んで三神殿並立の姿はまことに立派である。

中門

舞殿(県重要文化財指定)
寛文10年(1670)に再建されたものである。三間二面で角柱を用いる。柱は小面をとる。斗組は三斗、内部は折上げ格天井となるが美しい構成を示している。妻飾りなどにも気のきいた装飾が施こされており、洲原神社社殿中、一番古く優れている。

拝殿(県重要文化財指定)
七間四面の入母屋、桧皮葺の大建築である。角柱は小面をとり、舟肘木を用い、内陣は出組格天井となっている。正面中央間に虹梁を入れ撥形の束をのせている。長享元年(1487) に村山対馬守忠広が建てたという棟札があるが、現在の建物は江戸時代の物と考えられる。

神饌殿

斎籠殿
垢離取祭で斎主が潔斎し、御籠りをします

社務所・斎殿
各種授与品の授与、ご祈祷の受付を行なっております。

西門

手水舎

東門

楼門(県重要文化財指定)
三間二面の楼門で入母屋桧皮葺である。小面をとり角柱を用い上層二手先、下層出組の斗組を使用している。唐様を主とした建築で寛永17年(1640)に再建、さらに寛保元年(1741)に再建された。下層の左右側面は粗い連格子を入れ、老樹がうっそうと茂り境内の至るところが透かして見え、建物と環境がまことによく調和している。

楼門の大太鼓
日本一の大太鼓で、当社崇敬の念厚い交告源四郎氏の奉納(明治16年)にして、其の子孫は現在東京都新宿区中井に在住の交告操郎氏であります。

水神石

鳥居

太鼓橋

夫婦桧
見上げると見事な枝ぶりの2本の桧です。男性は女桧、女性は男桧を抱え縁結びを祈願します。

子授霊石
「三度跨げば子を授かる」と伝わる霊石。
子授霊石の参拝作法
1.二礼して住所・氏名を神様へ伝える
2.「○○の子を授かりますように と心の中で祈願申し上げる
3.二礼二拍手一礼し、しめ縄の中に入る
4.石を三回またぐ
(それぞれ左回り、右回り左回りで元の位置に戻る)
5. しめ縄を出て二礼、 再度住所・氏名を伝える
6、「○○の子宝をお授けいただきありがとうございます」 と感謝の気持ちを申し上げる
7. 二礼二拍手一礼する

神岩
長良川に浮かぶ岩上には水神・竜神が祀られています。命の水に感謝する白山信仰のお宮として大切な御神体です。