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洲原神社について
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洲原神社について

洲原神社のご由緒
洲原神社は、今より約1300年前、元正天皇の御代養老元年に(西暦717年)、越前国足羽郡麻生津村、神職三神安角の二男泰澄が加賀国白山の絶頂で厳かな修行行うていられた時に霊夢を感じ、其の状を具(つぶ)さに、天皇へ奏上されたので、元正天皇より泰澄に斎鎮の勅命下り、又当社御造営使として、伴安麿に御剣一口と封戸若干、従者二人に甲胃を添えて下し賜う。養老5年5月、実に宏大荘厳な御社殿が御造営の工を竣え、勅を奉じて泰澄が御祭神をお祀(まつ)り申し上げたのであります。
当社古来「正一位洲原白山」とも称(たたえ)奉り、洵に御由緒深い大社であります。
祭神
中央本殿 御祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
現社殿は室町時代、康正2年(1456年)炎禍により焼滅するも新たに建立され、戦国時代長享元年(1487年)時の領主村山対馬守忠広により修繕され、安土桃山時代天正13年(1585年)鉈尾山城主佐藤才次郎方政によっても修繕される。
その後、江戸初期に大修理されたと推される。

東本殿 御祭神 伊邪那美命(いざなみのみこと)
合祀神
天照皇大神(あまてらしますすめおおかみ)・豊受姫神(とようけひめのかみ)
須佐之男命(すさのおのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)

西本殿 御祭神 大穴牟遅命(おおなむちのみこと)
合祀神
大山衹命(おおやまづみのみこと)・木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
猿田彦命(さるたひこのみこと)・迦具土命(かぐつちのみこと)
道返之命(ちがへしのみこと)
御神徳
伊邪那岐、伊邪那美二柱の大神は、国土生成、諸神出生の大業をしたまい、夫婦縁桔び、寿命延命、五穀草木鳥獣魚貝等悉く蕃殖して吾々人間生舌に偉大な御神徳を垂(た)れさせ給い、大穴牟遅命は、大国主命と申し上げて福の神にましまし、伊邪那岐、伊邪那美二柱の大神の生み給うたこの国土を、御経営にお力をつくし給い、又薬温泉(くすりゆ)の術(みち)を始め人畜の為に、その病を治療する方法を定め鳥獣昆虫の災異(わざわい)を祓い除くまじないの法をお示し給うた大神で、当社の「卸蒔土(おすな)を田畑にまけば、災を除き、必ず豊作の奇瑞があると信仰されています。往古より国家鎮護、五殻豊饒、養蚕豊繭、交通安全、家業繁栄、厄難解除、安息開運の守護神として崇敬厚く、「お洲原まいり」として名高く、美濃、飛騨は申す迄もなく、尾張、三河、信濃、近江、伊勢、遠くは北海道、西は九州に至る迄、全国から年々多数の参拝者があります。
洲原神社//〒501-3706 岐阜県美濃市須原468-1-1//TEL/FAX:0575-32-2363//参拝時間:≪特に制限なし≫//≪但し社務所勤務者 9:00~16:00≫

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