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洲原神社の文化財
洲原神社の文化財
社殿
奈良時代に越前の名僧泰澄大師によって創建されたと伝えられる洲原神社の社殿は、この近郷には稀な壮麗なものである。この神社は古来農桑の神として尊崇され、江戸時代から洲原講の組織があって各地からの参詣が多かった。
県・市 重要文化財指定は、中央と東西の本殿、拝殿、舞殿、楼門の六棟である。
県・市 重要文化財指定は、中央と東西の本殿、拝殿、舞殿、楼門の六棟である。
中央本殿(県指定)
三間三面入母屋造り桧皮葺、前面に向拝がつく。三手先斗組であるが支輪はなく、斗組の間に蟇股を入れ、唐様を主として和様を混ぜ、市内で最も規模の大きい立派な本殿である。 社伝によれば康正年間に建立し天正13年(1585)に鉈屋山城主佐藤歳次郎方政によって修理されたということであるが、さらに江戸時代にも大修理を加えたものと推定される。
東西本殿(県指定)
どちらも三間三面の流れ造り、身舎は円柱、向拝は角柱を用い、斗粗は出組で勾欄をめぐらしている。江戸時代の建築と考えられるが、本殿と並んで三神殿並立の姿はまことに立派である。
拝殿
七間四面の入母屋、桧皮葺の大建築である。角柱は小面をとり、舟肘木を用い、内陣は出組格天井となっている。正面中央間に虹梁を入れ撥形の束をのせている。長享元年(1487) に村山対馬守忠広が建てたという棟札があるが、現在の建物は江戸時代の物と考えられる。
舞殿
寛文10年(1670)に再建されたものである。三間二面で角柱を用いる。柱は小面をとる。斗組は三斗、内部は折上げ格天井となるが美しい構成を示している。妻飾りなどにも気のきいた装飾が施こされており、洲原神社社殿中、一番古く優れている。
楼門
三間二面の楼門で入母屋桧皮葺である。小面をとり角柱を用い上層二手先、下層出組の斗組を使用している。唐様を主とした建築で寛永17年(1640)に再建、さらに寛保元年(1741)に再建された。下層の左右側面は粗い連格子を入れ、老樹がうっそうと茂り境内の至るところが透かして見え、建物と環境がまことによく調和している。
商船之図絵馬
この絵馬は貞享2年(1685)に尾張藩主より寄進されたものである。 縦137cm、横166cmの大作で、米の輸送船を描いている。 大きく風をはらんだ帆をかけ、船頭が十人あまり、その他に料理人、笛や鼓をもった楽人などが数人見える。 絵具の剥落があり判然とせぬ所もあるが、人物の顔や動作に風俗画風の気どらぬ楽しさがあり、細密な線と美しい色彩で大作を巧みにまとめている。
国指定文化財及び天然記念物
ブッポウソウ繁殖地
洲原神社社叢はブッポウソウ繁殖地として国の天然記念物に指定されている。
ブッポウソウといえば、誰しもがかつて霊鳥といわれた「ブッポウソウ」と鳴く鳥を連想するが、これは声のブッポウソウと称されているコノハズクのことで、ここに飛来繁殖する鳥は鳴き声が全く異なる姿のブッポウソウといわれる美しい鳥である。
ブッポウソウは夏鳥で毎年5月に飛来し、6月に巨木の洞穴に営巣産卵し抱卵して、7月に艀化、9月末頃にジャワ、スマトラなどの南方に飛び去っていく。体はハトよりやや大きく、頭部は黒褐色、背腹は青緑色、嘴と脚が紅色、翼をひろげると白い班紋のある美しい姿の鳥である。
かつてはこの鳥が「ブッポウソウ」と鳴くと教えられたが、昭和10年 NHKが愛知県鳳来山から鳴声を放送したことにより、コノハズクの鳴声とわかり、姿と声のブッポウソウが解明区別されたのであった。
コノハズクは夜行性であるが、このブッポウソウは昼間高い木の枝を飛びまわり昆虫を捕食する。指定当時は社叢に定着していたが、神社裏に国道が開通したために交通騒音が激しくなり、今は営巣も近くの鶴形山自然林に移り、社叢には飛び交う姿を見るのみとなったのも止むを得ないことであろう。
ブッポウソウといえば、誰しもがかつて霊鳥といわれた「ブッポウソウ」と鳴く鳥を連想するが、これは声のブッポウソウと称されているコノハズクのことで、ここに飛来繁殖する鳥は鳴き声が全く異なる姿のブッポウソウといわれる美しい鳥である。
ブッポウソウは夏鳥で毎年5月に飛来し、6月に巨木の洞穴に営巣産卵し抱卵して、7月に艀化、9月末頃にジャワ、スマトラなどの南方に飛び去っていく。体はハトよりやや大きく、頭部は黒褐色、背腹は青緑色、嘴と脚が紅色、翼をひろげると白い班紋のある美しい姿の鳥である。
かつてはこの鳥が「ブッポウソウ」と鳴くと教えられたが、昭和10年 NHKが愛知県鳳来山から鳴声を放送したことにより、コノハズクの鳴声とわかり、姿と声のブッポウソウが解明区別されたのであった。
コノハズクは夜行性であるが、このブッポウソウは昼間高い木の枝を飛びまわり昆虫を捕食する。指定当時は社叢に定着していたが、神社裏に国道が開通したために交通騒音が激しくなり、今は営巣も近くの鶴形山自然林に移り、社叢には飛び交う姿を見るのみとなったのも止むを得ないことであろう。